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こう見えて小学生の時、僕はひ弱でした。
王子のように育てられた僕は、春になると風邪を引き、夏になると寝冷えを起こし、
秋になると熱を出し、冬になると咳き込んでいました。
その度に我が家のばあやは、僕の為に、まずい薬を作っていたものです(ウソです)。

まぁ、小学生まではこれで良いのです。
僕は当時から、勉強は出来なかったので、学校を休もうが、成績に大差はありませんでした。
親が聞いたら泣くかも知れないけれど、学校をサボるため、体温計を布団で擦って、
42度まで上げちゃったことも何度かあります。
問題は中学生になってからやってくるのですね。
僕は理想だけが高く、将来の夢はプロ野球選手でした。
御多分に漏れず、中学入学と同時に『野球部』に入部。もう、気分は年俸3億円でしたね。

でも、甘い現実はすぐに打ち破られる。
当時、僕のいたk中学校は結構、野球部が強く、先輩が怖いのでした。
その雰囲気はなんとなく感じていたのですが、ある日悲劇は起こりました。
k中学では雨になると『キビ練』(キビしい練習、約してキビ練)を上級生、
下級生の分け隔てなく行っていたのです。
確かに、ある意味で、学年の差なく練習するのは公平かもしれませんが、冗談じゃないのです。
この練習がトンでもない。
V字腹筋3分5セット、背筋200回3セット。腕立て100回3セット。
最後は校舎の1階から5階まで40往復の後、上位3名以外負け残り、これがエンドレス。
(大体、『校舎は走らない。』とか校則で言っといて、一体この矛盾はなんだ!?)
ちなみに、僕らの一年後輩の保護者からこの練習にクレームが出て、『キビ練』は、
禁句となり“伝説”の練習になったのです

王子のような僕の身体は、このキビ練を初めて経験した時に悲鳴を上げました。
その当日に、体調の異常をきたし、検査の結果、血尿と尿の蛋白反応。
いわゆる急性腎盂炎でした。
その後合計3ヶ月に及ぶ入院生活の後、結果的に野球は断念。
日本最初のメジャーリーガーになる筈だった、河田貢投手の夢はこの時点で途切れたのです。
その後、過酷な運動にストップが掛かり、本格的に運動が再開できるには3年の期間を要しました。

長々と書き連ねましたが、僕の言いたいことは、過酷な練習や、愚かな指導者、
度を越した根性論への恨みに対する警鐘でもなく、単に自分の身は自分で守らなければならない
ということなのです。
人間、健康であれば、何でも出来ます。
確かに少々の風邪でも、数日は頑張れるけれど、それだって限界がある。
人間にとって一番大切なのは『健やかに生きる能力』なのです。
健康な時は、自分の身体を労わらないですけれど、週に一度は勉強だけでなく、
ストレッチでもして下さい。
勉強というのは予想以上にストレスが溜まります。心の疲労は肉体疲労よりも厄介です。
皆さん、くれぐれも、心と身体に御自愛下さい。

以上、河田でした。

2006年03月30日 09:48

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